【芸能】元テレ東・大橋未歩アナ(48)8年間の不妊治療、流産の経験も告白

【芸能】元テレ東・大橋未歩アナ(48)8年間の不妊治療、流産の経験も告白


(出典 hochi.news)
人生百年時代、まだイケるんじゃないか!?

1 冬月記者 ★ :2026/08/15(土) 10:18:50.19 ID:5xXM7WY69

https://news.yahoo.co.jp/articles/a83c96bb971a58fa9da8449937000544eb103041


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大橋未歩アナ 8年間の不妊治療、流産の経験も告白「自分にウソをつくことができなくて…」夫婦でニューヨーク移住「怖さより好奇心」

 元テレビ東京でフリーの大橋未歩アナウンサー(48)は、2023年春に夫と2人で米ニューヨークへ移住した。日本での仕事を手放して飛び込んだ環境。

 「自分の選択を悔いることは一回もない」と前だけを向いてきた。現地でのトークイベントで初めて告白した、自身の不妊治療などについても語った。  

中略
 

 フリー転向後も仕事は順調だったが、ずっと海外への憧れがあった。テレ東時代の後輩でテレビディレクターの夫・上出遼平氏(37)が22年に同局を退社したことで、本格的に移住を検討。

 米西海岸と迷ったが、ニューヨークが移民の街で、苦手な車の運転をしなくて済む大都会であることが決め手となった。

 「日本の仕事を整理することに怖さは多少あったけれど、知らない世界を見てみたいという好奇心が勝った。性格がずうずうしくて、自分の選択を全部肯定していくタイプ。ニューヨークに住んでみて、より街が好きになった。とてもフレンドリーで、困っている人がいたらすぐ助けてくれる。みんな毎日を生きるのに必死で、つらさを共有しているから他人にも優しい」

 英語は話せなかったが、現地での語学学校や演劇学校通いを経て習得。現在は夫が3月に開業したアウトドア用品店で週5日、店頭に立ち、店舗の売り上げなど財務面も担当する。数字が苦手だったテレ東時代に、一念発起して2級FP(ファイナンシャル・プランニング)技能士資格を取得したことが役立っている。

 「自分の人生に通底しているのは、苦手なところにあえて飛び込むこと。それが違うところで生きていることに面白みを感じています。苦手や知らない世界に飛び込む体験は、実はお得だと思っていて。今まで手を付けていないからこそ、ちょっとできただけですごく喜びを感じられる」

 幼い頃から、想像もつかない場所が好きだった。中学2年生だった1992年に、バルセロナ五輪で金メダルを獲得した水泳・岩崎恭子に目を奪われた。

 「今まで生きてきた中で一番幸せ」という名言に「同い年の岩崎さんが『幸せ』と言い切れる場所ってどういうところだろう?」と五輪の興味が湧き立ち、アナウンサーを志すことにした。

 上智大への進学もアナウンサー試験も、親の反対を押し切って希望をかなえた。テレ東では入社3年目で現地取材したアテネ五輪をはじめ、3回も五輪キャスターを務めた。

 「もともと、しゃべるのが苦手だったからこそ、できるようになるとすごく達成感があった。社会人生活が私の青春。四苦八苦しながら喜びを得てきた。アテネ五輪が終わって帰国した翌日も『4年間がむしゃらにやるんで(次の)北京五輪に行かせてください』と直談判してましたね。決めた目標に向かってまい進するのはいいんですけど、視野を狭くして自分を奮い立たせるところがあった」

 人気アナの地位を確立していた13年1月に、突然脳梗塞(こうそく)を発症した。

 「それまでは遠くの目標を定めて逆算して動いていた。病気をきっかけに『今日一日をしっかり生きよう』となりました。あした*かもしれないと実感すると、今日という一日を無駄にしちゃいけない」

 休職中は、神戸の実家で料理や山登りをして過ごした。

 「傲慢(ごうまん)さに気づかされた時期だった。テレビ東京で自分は代えが利かないと思っていたけど、私がいなくても当たり前のように会社も世界もまわっていた。それが健全で正しいことだった」

 8か月後に仕事復帰。30代後半に差しかかり、次第に会社の意見を代弁する局アナではなく「自分の意見を持って生きていきたい」との気持ちが高まった。17年にテレ東を退社。フリーランスとして挑戦することは妥当な選択だったと振り返るが、現在も古巣に感謝している。

 今年7月に発売したエッセー「ニューヨークの林檎(りんご)をむいて食べたい」(大和書房)では、移住後3年間の体験を赤裸々につづった。英語での一般参加型トークイベントで明かした、自身の不妊治療についても触れている。

 日本にいる頃から私生活を包み隠さず公開してきたが、自身の体のことだけは伏せていた。それは、現在の夫と8年間取り組んだ不妊治療や、一度だけ妊娠したものの流産したこと、45歳を前に治療を諦めたことだった。

 「公表することがプレッシャーになる怖さがあった。それぐらい子どもが欲しかった、ということでもあります。今回の『真実だけを話す』というイベントに出会った時に、すごく素直になれた。英語は日本語ほど器用に扱えないからこそ、全く自分にウソをつくことができなくて。だからこそ自分が丸裸の状態で明かしてみよう、という気持ちになれたのかな」
 公表後は女性を中心に、熱量のこもったメッセージが次々に届いたという。

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